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ご愛顧いただいていましたページですが、JUGEMのほうに引っ越しさせていただきます。
今後はこちらのページをご利用いただければと存じます。

引っ越し先

では、また

2011年10月25日 (火)

政府の基盤は人民の意見にある

総理とブレーン

Seibun Satow

Oct, 25. 2011

 

「政府の基盤は人民の意見にある」。

トマス・ジェファーソン

 

 現首相は、20111024日付『朝日新聞』の山岸一生記者の記事によると、「大平政治」を理想とし、それを目指している。彼は、『Voice201110月号への寄稿文の中で、「あれほどの英知を集めて気宇壮大な研究会を設置しようとした志の高さは、今こそ見直されるべきだ」と昭和の鈍牛を讃えている。ところが、肝心の「ブレーン」がおらず、霞ヶ関に頼っている有様である。

 

 現首相は、いわゆるぶら下がり取材を拒否しているが、大平は、首相時代、それに積極的に応じてきたことで知られている。20111017日付『岩手日報』に配信された西川孝粋共同通信特別編集委員の「一刀政断」によると、大平は当時の塩川伸次秘書官に「記者諸君はうるさいかもしれないが、国民を代弁しているのだし民主主義のコストだから手を抜いてはいかん」とか「世の中、刻々と変化するのだから(絶えず質問されるのも)仕方ないだろう。骨は折れるが丹念に説明するようにしよう」と語っている。

 

 こうした現首相の姿勢が彼の回りにブレーンが集まらない理由にほかならない。と言うのも、政権は、世論の声を汲み取り、その時々の政治的課題に向き合うためにブレーンを必要とするものだからである。

 

 吉田茂や岸信介はブレーンを持っていない。彼らは世論の声を傾聴する気などさらさらないからだ。吉田が「ワンマン」とあだ名されたことはよく知られている。また、岸は「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には『声なき声』が聞こえる」と発言、世論の怒りの火に油を注ぎ、そのサイレント・マジョリティもデモに参加し始めている。

 

 ブレーン政治の萌芽は池田勇人内閣に見られる。それは岸の「高姿勢」の反省である。官僚出身の田村敏雄や大平正芳、宮沢喜一、黒金泰美、さらに新聞記者出身の伊藤昌哉が政策立案のみならず、世論へのアピールを試みている。彼らは池田勇人改造計画を実行、メガネを銀縁、スーツをシングルに変えさせ、「寛容と忍耐」をキャッチフレーズにし、「待合もゴルフも行かない」と記者会見させている。池田はこれらを愚直に守っている。

 

 ブレーン政治は次の佐藤英作内閣から本格化する。佐藤は「『栄ちゃん』と呼ばれたい」と国民から愛されることを熱望し、テレビ出演をことのほか好んでいる。数多くのブレーンが参加、さまざまな政策の演出を繰り広げている。

 

 70年代に登場した4人の総理は、ブレーン政治に関して極端な態度を示している。党人政治家本流の田中角栄と官僚政治家本流の福田赳夫は自前で築き上げた霞が関の人脈を使用し、ブレーン政治をとっていない。田中の「日本列島改造計画」は通産官僚が中心になってまとめられている。一方、党内最左派の三木武夫と官僚政治家傍流の大平正芳はブレーンを活用している。三木は党内基盤が弱く、世論の支持が政権運営に不可欠である。また、大平は国民との相互作用が民主主義であると信じ、世論に積極的に向き合い、情報を開示、議論を深めようとする姿勢を示している。

 

 戦前からの政治家である三木は官僚嫌いで、民間の有識者との懇談を好み、その中から多くの成果が生まれている。今日では一般化した「ライフサイクル・プラン」という概念もその一つである。三木のブレーンは「政策構想フォーラム」を結成し、さまざまな報告書を提言している。この参加者が後に大平内閣の「政策研究会」に加わったり、中曽根康弘内閣の審議会委員に就任したりして、政策決定に影響力を発揮している。中曽根が世論との結びつきに熱心だったことは今さら言うまでもないだろう。

 

 現首相は森嘉郎首相以来と言っていいほど世論に背を向けている。世論の最大の関心事の一つである脱原発にしても極めて後ろ向きで、政策は押並べて信じがたいほどの現状維持でしかない。あまりにも政権交代以前に逆行しているので、おそらく自民党が困っているだろう。20119月に現首相が国連本部を訪問した際、福島出身の人々がビル前で脱原発デモをしたが、一瞥さえしない。菅直人前首相が避難所である夫婦から非難されて冷や汗をかきながら謝罪していた姿がかわいく見えるほどだ。こんな世論の声に耳をふさぐ現首相に協力したいと思うブレーンはいない。

 

 現首相は毎朝駅前で辻演説をしてきたことを誇りにしている。それは人々の肉声を汲み取るよりも自分の意見を訴えることが政治だと言っているのに等しい。この姿勢が顕在化したのが民主党代表選の演説である。この国難にある状況にもかかわらず、将来ヴィジョンではなく、彼は自分の半生を語っている。政治家への志望動機や過去の選挙活動の様子などを口にし、一国のトップを決める場を就職活動の面接まがいに堕している。戦争体験や具体的な政治活動の経験を経て転出した政治家はその志望動機は状況に立脚している。ところが、彼が政治家を選んだのは内的な理由による。政治が内部で完結している。そのため、彼が政治について思いきって話そうとすると、自分の半生に終始してしまう。

 

 しかも、その人物が実際に選出されるのだから唖然とさせられる。あまりにも惨めで、未熟、情けない光景であり、日本の民主主義が歴史と世界の笑いものになった瞬間である。合衆国大統領の候補者が投票日前日に自分の半生をアピールすることなどありえない。有権者が求めているのは、その人物が当選した際のアメリカの将来ヴィジョンだからである。

 

 なお、大平の選挙演説は、残念ながら忘れられているけれども、ジェームズ・ブラウンの『マンズ・マンズ・ワールド』を髣髴させるソウルフルなシャウトである。映像記録のウェブ上での公開が待ち望まれる。

 

 もっとも、こうした傾向は松下政経塾出身の政治家に大なり小なり見られる。政経塾出身者は、80年代後半から地方議会に進出、90年代に入ると国政でも注目され始める。「しがらみのない政治」を標榜し、地盤・看板・鞄なしで中央・地方議会の議員になる彼らの姿は、55年体制の政界にあって新鮮さを世論にアピールする。

 

 けれども、政経塾出身政治家の存在意義は80年代前半までである。阪神・淡路大震災を契機に、市民の政治参加への意識が急速に高まる。政治課題を自分たちの問題として真剣に考え、意見交換をし、行動を実践、新しい公共性の構築を模索している。この新たな政治のうねりの中、市民の政治運動の組織化が求められるようになる。ところが、天狗連ならぬ塾連はこの流れに寄与しないばかりか、敵対的でさえある。

 

 塾連にすれば、市民は所詮生活からしか物事を見ていないが、自分たちはしがらみがないから、大局的に考えて、政治に携わっているという自負がある。しかし、それは著しく独善的な姿勢である。市民の肉声に耳を傾け、それを汲み取り、政治課題への対応に反映させる。そうした姿勢のない政治は机上の空論にすぎない。しがらみのなさは自らの正しさへの過信につながり、願望的思考にとらわれている。それもあってか、不勉強もはなはだしい。その典型例が現民主党政調会長だろう。もはや塾連はその独善性が自らの政治的な既得権益を守ることにしかなっておらず、新しい政治の成長を阻害している。

 

 塾連は過渡期の政治家である。歴史的使命はすでに終えている。しかし、よりによって、今彼らが日本政治の中枢にいる。その態度は「小岸信介」と呼ぶにふさわしいほどだ。現首相を含めて塾連は身を引き、市民が参加する政治を構築するべきである。そのとき、彼のお望み通り、ブレーン政治が出現する。

〈了〉

2011年10月15日 (土)

2011年の鉄道記念日

2011年の鉄道記念日

Seibun Satow

Oct, 14. 2011

 

「三嶋は近年ひらけたる 豆相線のわかれみち 駅には此地の名をえたる 官幣大社の宮居あり」。

『地理教育鉄道唱歌第一集』十六番

 

 1014日は鉄道記念日である。新橋=横浜間が1872年(明治5年)のこの日に開業したのを記念して、1922年(大正11年)に制定されている。

 

 もっとも、この路線の開通は文明開化の象徴的な出来事にすぎない。当時の実力者の大久保利通が水運を国内の運輸・交通インフラの中心と構想していたからである。

 

 海外視察の経験から、大久保は近代化における鉄道の重要性を十分に理解している。けれども、その頃の日本伊は鉄道を自前で通す能力が無いため、すべて外国資本、すなわち輸入に依存しなければならない。ただでさえ苦しい台所事情にあり、できる限り、資金の海外への流出を避けたい。しかも、機関車の点検・補修やダイヤグラムの作成・管理の経験もない。お雇い外国人にそうしたノウハウを教えてもらい、人材を海外留学させて知識・技術を習得させる必要がある。

 

 19世紀後半、鉄道は世界で最も有望な投資先である。1850年代から70年代にかけて欧米諸国の経済は、鉄道の敷設に伴い、急速な経済成長を遂げている。国内路線の整備がひと段落つくと、後進国や植民地の鉄道建設への海外投資がブームになっている。そういった国や地域には知識・技術がないので、先進国から列車を始めとして多くを輸入しなければならない。投資した資金が先進国へ還流する仕組みになっている。

 

 一方。水運であれば、船舶購入の初期投資や港湾施設等の近代化は必要であるものの、ほかはほぼ自前でできる。江戸時代以来、水運は輸送インフラの主力であり、河川や海を網羅するネットワークが整備されている。人材もそろっている。そこで、現実主義的観点から、大久保は水運を主とし、鉄道を太平洋側と日本海側を結ぶために用いる従の運輸・交通インフラと考えている。

 

 ところが、この構想は後に頓挫し、鉄道が国内の運輸・交通インフラの中心に据えられる。最大の理由は日本列島の地理的条件である。

 

 日本列島は南北に山脈が走っている。太平洋側と日本海側をつなごうとすると、この山々が行く手に立ちふさがる。敷設工事は難航する。一例を挙げよう。敦賀=長浜間の測量が始まったのが1871年(明治4年)であるが、開通したのは、実に、1884年(明治17年)のことである。大久保は、このとき、すでに世を去っている。1876年には東京=大阪間が開通しているのと比べて、あまりにも遅い。

 

 もっとも、地理的環境が日本独特の園芸文化は育んだ一因でもある。地球が気候変動しても、山々が列島を縦断しているので、植物は南北に生息地を移動できる。全滅する危険性が少ないため、植生は非常に多様になる。他方、ヨーロッパは、山脈が東西に延びているため、氷河期の際に、植物が南に逃げれず、多くが絶滅している。

 

 大航海時代が到来すると、ヨーロッパ人は海外から見たこともないさまざまな植物を本国に持ち帰る。特に、欧州の寒冷な気候でも育つ高山性の植物が好まれている。彼らは殺風景な庭園を美しさを基準にそうした植物で装飾する。イングリッシュ・ガーデンがその典型である。さらに、グリーン・ハンドたちはより美しいものを求めて交配を繰り返す。

 

 一方、日本ではもともと植生が豊富なので、植物鑑賞の基準は美ではない。変わっていることである。園芸家はより珍奇な植物を国内中で探し回る。変であればあるほどよい。オモトやナンテン、マツバランのように奇妙であること以外に何のとりえもない植物が珍重される。日本の庭園は、その結果、奇怪な植物に覆われる。見つけてくることが大切なので、日本の伝統的な園芸において、人工交配は認められない。

 

 話を鉄道に戻そう。

 

 太平洋側の都市をつなぐ路線が次々と開業する。国内輸送では鉄道の方が船舶よりも便利である。当初は国が建設していたが、西南戦争以降、財政難の事情から民間資本が参入している。今日、しばしば日本経済は伝統的に官主導だと言われるけれども、戦時期を除くと、戦前の実態は驚くほど自由放任主義である。1880年代にはもはやブームと呼べる鉄道建設ラッシュが起きている。

 

 しかし、鉄道の時代の到来は太平洋側と日本海側との間の経済格差の問題の発生でもある。「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」と詠まれた日本一の大地主の本間家が山形県酒田市に居を構えていたように、かつては日本海側も有力だったけれども、20世紀には、太平洋側に経済的中心が定着している。太平洋側の港からアメリカに輸出して外貨を稼ぐ。1900年(明治33年)、全66番に及ぶ『地理教育鉄道唱歌第一集』が発表されたが、舞台となっているのは新橋=神戸間の東海道線である。列島を縦断する路線は矢継ぎ早に開通するのに、横断鉄道はなかなか進まない。鉄道網に入れば、中央とつながったことを意味する。経済成長はこのリンク次第というわけだ。星亨のような政党政治家は地元への利益還元として鉄道敷設を推し進める。その姿は「我田引鉄」と揶揄される。

 

 1947年の総選挙において、「若き血の叫び」と訴えた28歳の青年が新潟三区から当選する。この土建屋の若者は、元前の才覚とエネルギッシュな行動力により、凄まじい勢いで政界で出世していく。そのスピードは高度経済成長と重なり合う。しかし、脳裏にはいつも貧困から抜け出せない雪深い故郷の人々の姿がある。新潟が貧しいのは、東京への運輸・交通インフラが十分でないからだと固く信じ、その整備に執念を燃やし、あの忌々しい三国山脈をぶっ潰せないかと本気で考えている。太平洋側をこれほど見つめていた日本海側出身の政治家もそういない。

 

 最初の汽笛が鳴ってから一世紀経た19727月、この田中角栄が内閣総理大臣に就任、9月、日中国交正常化を果たす。戦後のほとんどの政権は太平洋の先を見ていたが、国際情勢の変化に伴い、彼は日本海を渡る。それまで背を向けていたその海の向こう側には世界で最も人口を抱えた国がある。

 

 太平洋を恋しがるだけの時代はもう過ぎ去っている。2004年、日本の対中貿易の総額が対米のそれを初めて超える。その後、一環として日本の最大の貿易相手国は中国である。

 

 中国浙江省で23日夜に起きた高速鉄道の追突・脱線事故から一夜明けた24日早朝、中国当局は、追突したとみられる車両の運転席部分を、現場に掘った穴に埋めてしまった。事故から約半日後の24日午前4時半過ぎ、現場に入った記者が一部始終を目撃した。 

 夜明け前。現場では、落下した1両の車体が、一部は地面に突き刺さり、高架に寄りかかるように立っていた。わきの地面の上では、追突した後続列車とみられる先頭車両が、真っ二つになっていた。切断部分は鉄板や部品がめくれ、後ろ半分は原形をとどめていなかった。 

 空が明るくなり始めた午前6時ごろ、7台のショベルカーがすぐ横の野菜畑に穴を掘り始めた。深さ45メートル、幅も約20メートルと大きい。午前7時半過ぎ、ショベルカーがアームを振り下ろし、大破した先頭車両を砕き始めた。計器が詰まっている運転席も壊した。そして残骸を、廃棄物のように穴の中に押しやってしまった。

(奥寺淳「事故車両の運転席、当局が現場の穴に埋める」) 

 

 2011年は鉄道もいろいろなことを伝えると教えてくれた年である。

〈了〉

参照文献

塚谷裕一他、『植物の科学』、放送大学教育振興会、2009

奥寺淳、「事故車両の運転席、当局が現場の穴に埋める」、asahi.com201172531分更新

http://www.asahi.com/international/update/0725/TKY201107240595.html

 

2011年10月 7日 (金)

スティーブ・ジョブスとココシャネル

スティーブ・ジョブス

Seibun Satow

Oct, 6. 2011

 

“Design is not just what it looks like and feels like. Design is how it works”.

Steve Jobs

 

 ベンチャー・ビジネスを起こす人を「ガレージ起業家(Garáge Entreprenèur)」とも呼ぶ。自宅のガレージから始めたビジネスが巨大な産業帝国の支配に風穴を開け、世界の市場を席巻する。そんなベンチャー・ビジネスの夢を具現化したスティーブ・ジョブスが2011105日に56歳で息を引きとる。早すぎる死だ。

 

 ジョブスの業績を挙げればきりがない。その多様性は驚異的である。彼はエスタブリッシュメントが見こみなしと切り捨てた事業を数々成功させる。一般人がコンピュータを必要とするわけがないとか、ダウンロードして音楽を聞く人はいないとか今ではどちらが間違っていたのか明白である。

 

 とは言うものの、マッキントッシュからiPadに至るまでアップル社の製品には最新の技術が活用されていない。既存の技術を組み合わせ、高いデザイン性と巧みな販売戦略でブームを巻き起こすのがジョブスの手法である。また、ジョブスは、アラン・ケイのダイナブック構想のような歴史的パースペクティブのあるヴィジョンを持っていたわけではない。よりよい社会に寄与するための製品・サービスを提供したいという思いはあったが、そこに文明論的な視点はない。

 

 ちなみに、既製の部品を搭載しているので、製品価格の内訳が算出できる。第4世代iPod20GBモデルが299ドルで販売されていたが、吉森賢横浜国立大学名誉教授によると、それは次の通りである。部品代が144ドルで、最も高いのが東芝製(中国生産)HDD20ドルである。アメリカの商取引では問屋が価格の10%、小売が15%をとるので、それぞれおよそ30ドルと45ドルになる。残りの80ドルをアップル社が手にするわけだが、それは価格の27%弱に当たる。収益の方法さえも製品から見えてしまう。

 

 おそらくジョブスをトーマス・エジソンやヘンリー・フォードのような実業家として見るべきではない。彼は、むしろ。ガブリエル・ココ・シャネルやピエール・カルダンのようなファッション・デザイナーだと捉えるべきだろう。

 

 それは1985年以降のジョブスとアップル社の浮沈によって強調される。85年、ジョブスは、その性格を主因として、アップル社から追放される。この辺の事情は、ポリスの『シンクロにシティⅠ』が印象的に使われているマーティン・バーク監督の『ジョブスとゲイツ(Pirates of Silicon Valley)』(1999)でうかがい知ることができる。追い出した方は苦しい経営状況が続くが、追い出された方もぱっとしない。96年にジョブスがアップル社に復帰すると、両者共に輝き始める。ジョブスあってのアップル社であると同時に、アップル社あってのジョブスである。アップルはメーカーではなく、DCブランドであり、ジョブスはデザイナーである。

 

 こうした関係は今日の電子技術製品のあり方から理解できよう。今の電子製品は指で触れ、身体に装着し、いつでもチェックできるものである。それは電子の五感であり、脳への新たな刺激と言ってもよい。時代遅れのヘアースタイルや悪趣味なファッション、たるんだボディラインで街を歩きたくはない。体の一部と化した電子製品も同様である。サプライヤーには技術者ではなく、ファッション・デザイナーのセンスが必要とされる。アップル社製品は最新のモードであり、それを世に出すのがスティーブ・ジョブスだというわけだ。そこからユーザーの高い忠誠心が生まれる。

 

 2011105日は19571024日に似ている。それは、戦後モードを生み出したクリスチャン・ディオールが52歳の若さで亡くなった日である。組織の命運が特定の個人に依存する姿は健全ではない。あのときは才能溢れる若干21歳のイヴ・サン=ローランがディオール社のチーフ・デザイナーに就任し、「トラペーズライン」で世間をあっと言わせる。

 

 しかし、今はITのイヴ・サン=ローラン出現の可能性を云々する心の余裕はない。ただただ、スティーブ・ジョブスの死を惜しむだけである。

〈了〉

参照文献

吉森賢、『企業戦略と企業文化』、放送大学教育振興会、2008

2011年9月27日 (火)

アクシオム交代とニュートリノ実験

アクシオム交代の科学論

Seibun Satow

Sep, 26. 2011

 

「すべてが変化し、何者も滅びない」。

オウィディウス『変身物語』

 

 2011923日、名古屋大学や神戸大学などが参加する国際共同研究グループOPERAがニュートリノが超光速で運動するという実験結果を発表する。ところが、専門家の間では懐疑的な見方が少なくない。実験方法の妥当性や従来の観測データとの整合性といった疑問が投げかけられている。それ以上に、これが招かれざる客であることも大きな理由だろう。相対論にほころびが目立ち始め、新たなグランド・セオリーの必要性がコミュニティの中で暗黙の了解となっているときに、この発見が飛びこんできたならともかく、依然として現代物理学の共通基盤である現段階ではお呼びでない。

 

 支配的な理論と合致しない実験・観測結果が出た場合、機軸には手をつけず、その異議が申し立てられた理由を探ろうとする。ここで多くは解消される。それでも謎が解けず、さらに追認するような実験・観測が続く際には、機軸理論の見直しの作業に科学者コミュニティは入る。新発見発表から3日後、OPERAは再実験の意向を明らかにしている。当然の判断だろう。

 

 19世紀前半、ジョン・ハーシェルやウィリアム・ヒューエルらが科学論を展開し始める。1920年代、ウィーン学団が論理実証主義によって科学論を飛躍させ、60年代、トマス・クーンがパラダイム論を唱え、それを批判して科学相対主義の道を開く。現在までの成果の外観は次のとおりになろう。西洋において、中世以来「真理」が教会権力の権威に依拠していたが、17世紀頃から専門家コミュニティのコンセンサスに移る。この分野の専門家の関心はこの同意がどのように形成・改変されるかにに向けられる。学団のカール・・ポパーの「反証可能性」は日常的・連続的な変化、クーンの「パラダイム・シフト」は非日常的・非連続的な改革である。通常は前者で科学は進展するが、時々、後者が起きて、制度的認識を一変させる。20世紀に入り、科学と技術が融合し、世紀の後半を迎えると、「SBT(Science based Technology))はその応用において社会的な同意を必要とする。それは真理の社会化である。さらに、現代ではグローバリゼーションに伴い、真理のグローバル化が生じている。幅広い社会の中の科学が論じられるときが来ている。

 

 クーンのパラダイム論のインパクトは大きく、この概念は科学論を超えて用いられている。クーンの『科学革命の構造』によると、パラダイムは「ある期間を通して科学研究者の集団に問題や解放のモデルを提供する普遍的に認められた科学的成果(achievement)」である。パラダイムの成立がその分野を「科学」と呼び得る明確な基準である。累積的な過程ではなく、あるパラダイムが別のそれにとって代わる革命こそが科学の歴史である。

 

 しかし、科学理論上のヘゲモニーの移動の後を見ても、旧理論が絶滅しているわけではない。大きく二種類の勢力地図の塗り替えが起きている。

 

 一つは、新しい理論に古い理論の一部ないし全体が組みこまれるケースである。アリストテレスの自然学の知見の多くが現在では否定されているけれども、観察と推論という姿勢は有効である。また、集合論が登場し、従来の数学がその記法によって書き得ることが明らかとなる。現代数学は集合論に基づいて再構成された体系である。

 

 もう一つは、新しい理論がカバーしきれない領域で古い理論が生き残り、存在感を発揮するケースである。古典ギリシアで発達した総合幾何に代わって、計算によって命題を証明する解析かが17世紀に誕生する。けれども、角度の問題に関してはカルテジアン座標はお手上げで、伝統に頼らなければならない。また、電車の設計には、相対論も量子論も不要である。しかし、ニュートン力学と電磁気学は必須である。加えて、車体のデザイン設計には、有限要素法が欠かせない。車体には、伸び・縮み・曲げ・捻りの四種類のストレスがかかるが、想定された条件下で、それに耐え、フックの法則が成り立つようにしなければならない。そこで、形状を小さな三角形に分割して表現し、変形を確認する。これは要素還元主義であり、典型的なデカルト主義である。

 

 このように、ヘゲモニー移動の後であっても、見方を変えれば、旧理論も依然として有効である。宗教会議の正統=異端論争のように、勝った側が公認教義の地位を獲得し、負けた側が追放されるわけではない。実態を考慮すると、パラダイム・シフトではなく、「前提交代(The Alternation of Axioms)」の方がふさわしい。アクシオムはその理論体系の根幹をなす原則である。前提が変われば、それに基づく体系も変更される。前提は見方に依存する。直線外の一点を通り、これに平行な直線は一本だけという前提を二本以上あるもしくは一本もないに交換すれば、ユークリッド幾何学恥非ユークリッド幾何学へと交代する。

 

 科学に携わる際には、見方に応じて、前提を検討する必要がある。大きな対象を扱うのがマクロな見方、小さければミクロというわけではない。宇宙を考察していてもミクロな見方はあり得るし、原子でもマクロとなることもある。科学は重層的である。

 

 従来の選定を変更したある理論が登場し、主導権を握ると、インフレーションが起こり、群生が生じ、その影響は特定分野を超えて波及する。しかし、次第にほころびが目立つようになり、限界に達し、新たな理論と世代交代すると、収縮していき、原点に回帰して等身大に落ち着く。デフレーションしても、以前に戻ったわけではない。膨張の過程で世間に認識が定着し、常識化している。

 

 理論に限らず、前提の交代はともかく、技術の分野でもこうした膨張=収縮過程を辿る場合も少なくない。身近な例で言うと、日本におけるラジオやテレビがそうである。

 

 ラジオは、最初に普及した鉱石ラジオが物語るように、パーソナル・メディアとして登場している。昭和初期に、街頭ラジオが出現、大戦前後に家族団欒の必需品になっていく。けれども、テレビの台頭と共に、個人的に楽しむメディアへと回帰し、ラジオは今でも欠かすことができない。

 

 テレビも、日本では、広告収入を原資とする民放の街頭テレビと受信料に基づく公共放送の小型化という二つの流れから世間に浸透している。さまざまなメディアが現われる中でも、今日でもパブリック・ビューイングやワンセグでテレビは存在感を示している。

 

 新しい理論や技術が登場すると、古いそれは相対化され、その固有さを模索する。自分らしさを思い出し、背負ってきた重荷を降ろして、等身大で生きていく。おそらく、科学技術において、新旧の世代交代の際に、「死」を宣告するのは一面的である。実態ははるかに重層的であろう。科学は認識の広がりをもたらしてきたはずだが、その哲学・歴史の考察が狭い視野であってはいただけない。人類はこれまで数多くの前提を手にしている。それを進歩と呼ぶかはともかく、認識の柔軟さと受けとめるのは意義あることである。

〈了〉

参照文献

TS・クーン、『科学革命の構造』、中山滋訳、みすず書房、1971

2011年8月17日 (水)

スマート・グリットと地域振興

インターネットの理念と地域振興

Seibun Satow

Aug, 16. 2011

 

「助くるは心の中の深き水。賢者はそれをくみ出す」。

『箴言』205

 

 「各人はその能力に応じて、各人はその必要に応じて(From each according to his ability, to each according to his needs)」。ベルリンの壁崩壊後、このカール・マルクスの『ゴータ綱領批判』のスローガンは廃墟の碑文として扱われている。しかし、今日、それはクラウド・コンピューティングとして実現している。ユーザーはデータ・センターの施設を所有せず、インターネットを介して、必要に応じてそのサービスの提供をサーバーから受けとる。

 

 インターネットをめぐる新たな技術・サービスが登場すると、それは都市の新風景として描かれがちである。クラウド・コンピューティングも例外ではない。クラウド・コンピューティングは、検索すると、グローバル化による国際競争が激化する中、ビジネスを変えると紹介する多くのページにヒットする。しかし、インターネットの理念は「自立・分散・協調」である。これは自治体のあるべき姿でもあり、クラウド・コンピューティングも地域振興への活用が大いに期待される。

 

 インターネットと地域振興と言うと、従来、マーケットのグローバル化の観点から語られる。インターネットを使えば、市場を国内のみならず国外にも拡大でき、地域の産品の売り上げの向上や観光客の増加につながるというわけだ。これは決して間違っていない。「伝統工芸品」は、国内では時代遅れだから、そう呼ばれているのであって、その文脈のない国外にとっては新鮮に映り、消費者数も馬鹿にならない。

 

 クラウド・コンピューティングは地域の風景を変える可能性がある。それは地域の生活基盤を強化し、新たな産業振興につながる。クラウド・コンピューティングはストリーミング・データ、すなわちリアルタイムの情報の収集に適している。この解析を活用すれば、社会インフラの高度化やセキュアな環境整備に有効であり、地域の活性化に役立てる。

 

 今、脱原発実現のために注目されているスマート・グリットは、クラウド・コンピューティングの活用例の一つである。収集したストリーミング・データをクラウドによって高速処理することで、電力を供給・需給の両サイドから制御し、最適化する送電網である。これによって電力の需給がより効率化され、地産地消で、各種トラブルの際には融通し合える分散型エネルギー・システムの構築を可能にする。これはインターネットの理念「自立・分散・協調」そのものである。脱原発は、インターネットをその理念に忠実に利用することで、到達の道が開かれ得る。

 

 しかも、再生可能エネルギー技術の開発が促進されるのみならず、各地に分散した発電設備・機器を設置・管理・補修するための雇用も地域に生まれる。こうした手に職をつける職種は技能の訓練・習得を必要とするため、従事者は不況にも強い。また、だからと言って、高度な専門教育を必須としてもいないので、地方の実業高校の卒業生のいい就職口である。

 

 また、プローブ情報の収集・解析に基づく高度道路交通システム(Intelligent Transport Systems: ITS)もクラウド・コンピューティングの有力な応実践例である。プローブ交通情報は、自動車の移動位置と車速から渋滞・混雑情報、ワイパーの動きから天候情報、ブレーキのかけ具合から燃費情報を集めて生成された道路交通情報である。これらを利用して事故や渋滞の解消、省エネや環境対策などさまざまな課題の解決を図るのがITSである。国土交通省によってすでにスポットが各地に設けられている。

 

 こうした発想を応用すれば、道路や橋、トンネルなどの状況を管理し、適切な補修・補強を可能にする。また、311はセキュアな街づくりの必要性を人々に痛感させている。災害対策にもこうしたアイデアが生かされることは間違いない。

 

 重要なのは、インターネットに関する技術・サービスがいかに地方に雇用の拡充をもたらすかという点である。さもなければ、インターネットの理念に反することになり、地方の置かれている現状の維持もしくは悪化につながるだけである。

 

 産業振興を考える際に、地方の高卒者が将来に亘ってライフ・サイクルに応じて暮らしていける雇用の創出を出発点としなければならない。地元に有望な仕事があれば、若者は出て行かず、街は活気を呈し、弱まった中間層が復活する。地方の活性化は国全体のそれにつながる。かつては製造業が地方に進出し、高卒者を正規雇用していたが、為替レートや人件費の国際敵割高から、工場が海外に移転し、残ったところでも、非正規雇用を増加させる。二次産業の成長と共に、一次産業は衰退していき、現状維持もおぼつかず、余力に乏しい。政府はこの動きを加速させることはしても、改善には積極的だったとはとても言えない。今、地方経済の疲弊は著しい。

 

 そんな中、2011719日、トヨタ自動車は、東北に建設する新工場に13年を予定に訓練校を併設することを発表している。工業高校の卒業生を受け入れ、自動車工として必要な技能を訓練・習得させる。これは確かに英断であるが、本来は政府がやるべきことだろう。

 

 世界各地で「スマート・シティ」構想がすでに進められている。それはITを駆使し、各種のエネルギー効率を高め、省資源化を推し進めた環境配備の都市プランである。正直、既得権益にしがみつく連中の抵抗も合って、日本は立ち遅れている。ITは進化が速いが、それを社会インフラの高度化やセキュアな環境整備への活用となると、たやすいことではない。人件費が少々高くても、さまざまな蓄積がある日本でなら十二分に可能である。産業振興はこの点から考えられて然るべきだ。何しろ、世界で最も廉価で高速大容量のブロードバンド回線を日本ではほぼ国中で使える。それを使えば、地方で高卒者が将来に亘ってライフ・サイクルに応じて暮らせるような産業振興ができる。

 

 実は、インターネットの活用の点で国際比較すると、政府・起業・個人のいずれも高くない。総務省が20109月にまとめた『次世代ブロードバンド政策』によると、利活用の項目では企業が8位、個人が9位、政府に至っては18位である。この大いなる公共財を日本は生かしきれていない。もったいない話だ。

 

 条件はそろっている以上、必要なのは考え方である。クラウド・コンピューティングも「自立・分散・協調」から認識するならば、都市の新風景にとどまらず、地方に非常に広範囲な雇用をもたらし得る。インターネットの理念に忠実にそれを活用することが地域振興の有望な可能性である。『コンピューターおばあちゃん』のヒットから今年で30年が経つ。もっとITを生かしていてもいいはずだ。

〈了〉

参照文献

ITS-Japan

http://www.its-jp.org/about/

社団法人日本インターネットプロバイダー協会

http://www.jaipa.or.jp/

2011年8月 2日 (火)

村上春樹論 パブーにアップしました

リンク
http://p.booklog.jp/book/31667

今回、表紙はpixivでお知り合いになった、シュンさんの絵を利用させていただきました。シュンさんありがとうございました。

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知の季節労働、といや聞こえはいいが。

ユーノスケ君が避暑地でのお仕事から帰ってきました。

んで、ひさしぶりなんで少し話しをしまして、マア避暑地だからってんじゃないですが

インターネットの無い環境で、

ひまなんで佐藤さんのmixiにのっかってる文章を、携帯で読んでたと
そしたら
佐藤さんの良さがなんとなくわかってきたと。

いやー、ウレシかったですね。今回のライターインザダークの紹介でも言いたかったことなんですが

センテンスセンテンスの完成度が高く

ニューステロップの集積か、って感じで読むと、初期中期の作品は

ずいぶん楽しめる。最近は、「論旨の横滑り現象」って読んでるものが

楽しめてそれはおいおいご紹介しますが

その感覚が、シーツオブナリッジなんだと

俺あそれいってんだヨと、すかさずかぶせましたね
その発言に

とにかく、ウチのラーメンは起承転結じゃないんだと

もっと、気楽に、自由に読めるんだよと
起承転結なんかで、不安から解放されてちゃだめだと
本質をつかむのに、人の論旨にのかっちゃいけない

情報の海を、板きれいちまいでスイスイやれと

いやでも
一人でも分かってくれた人が増えるのは、嬉しいですね

実際、佐藤さんの文章ってーのは、ツイッターがある前から、ツイッター的といいますか、

なんか、寄生獣の、ミギーの細胞みたいなのが
集まってなんかワイワイやっている

そういうあれなんすよ

佐藤さんは、

ツイッターについて「ツイッターは燃えているか?」という文章で書いていますが

http://p.booklog.jp/book/4148

ツイッターは単細胞的なものだと

この特徴って、初期中期にはそのままあてはまるところはあるんじゃないかなと。最近はあんまり芸術してませんが、初期は結構そういうアヴァンギャルドな方向を、

模索してたのかなと、どうなんでしょう、佐藤さん

ユウノスケ君の曲も、良い曲なんで、良かったら聞いてくださいよみなさん
http://www.youtube.com/watch?v=DjyJf1oQm5I

2011年7月31日 (日)

シーツオブノリッジ 佐藤清文夜話2

さて、そんな誰にも知られていない批評家
佐藤清文に、裏方はどのようにして出会ったのか

「ぐぐって」見つけたわけなんですが
マア、ずいぶんとその情報は奥深くにうもれていました。

ひょんなことがきっかけで、ある日、あるキーワードで、
とにかくグーグルの検索結果にある、下のほうまで行ってみようとおもいたちました

というのも、そのごろだったかと思いますが
特定のキーワード検索の1ページ目には
・公式サイト
・ウィキペディアの項目
・アマゾンその他のなんとか書店(作品紹介は同じ文面)
・ウィキペディアのコピー

みたいな感じでならぶのが定番になってしまい
自分が探しているような事が、上の方に出なくなってしまいました
じゃあ、自分の求めるような情報はどこらへんまで深く潜れば良いんだろうか

ダンテのようにわたしはグーグルの地層深く踏み入って
そこで佐藤さんを発見しました。

照らし出す明かり
キーワードはなんと「柄谷行人」でした

2011年7月30日 (土)

シーツオブノリッジ 佐藤清文夜話1

どうも、裏方です

今週から始まりました(つーか、いつでも「今週」)
佐藤さんのライターインザダークですが、2003年だったか、私が始めて佐藤さんの文章を

ネットで「検索」をしてから、

二番目か、三番目に読んだ文章ですこれは

最初に読んだ文章で思ったことは二つで

1)僕らと同じような題材を扱っている
2)僕らと同じような題材を扱って、しかもよくまとまっている

でした。すごく興味を持ったのでメールをすると、想像通りの好印象で
非常に深く調べられたうえで、平易に書く、ということが心がけられていました。

後のコモンウェルスで、ある出版社の会長が「なぜ彼が無名なんだ?でもって、なんでウチに原稿もってきたの?」といわれるように、私もこういうことがあるのかとびっくりしました

世の中が、素通りするような力強いものが彼にはある

と私は直感しました。そして、ライターインザダークを読んで、その直感は確信にかわりました。

その後の批評家は、しっかりした方法論をもって事にのぞんでおり、このライターインザダークにもそれが見てとれるからです。

僕らはその手法をシーツオブノリッジ(知識の敷物)と名づけました

2011年7月29日 (金)

2003年

どうも、裏方です。

紹介していますエッセイは、2003年のものです。佐藤サンと始めてやりとりしたときに、紹介文がてら読ませてもらったものです。

その前に確か文章をふたつほど読ませてもらって、これが三つめということになったと思います。

今日から、そこいらへんの

始めて読んだ当たりの雑感を書かせてもらおうか、とも思います

裏方でした

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